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健康診断に命を助けられた話

定期健康診断からの余命宣告

私自身のことで恐縮ですが、
2018年の5月に実施された会社の定期健康診断で白血球が基準値を下回っていることがわかり、
社内の保健師から早急に再検査を受診して下さいと、保健指導を受けました。

仕事が忙しかったこともあり、
結局、血液内科がある地元の総合病院に行ったのは、2018年8月末になりました。
総合病院で血液検査と骨髄検査を行った結果、
骨髄異形成症候群(MDS)という聞いたこともない「血液がん」であることが2018年9月にわかりました。
この時点では、階段を登る時に息が切れたり、
ごくたまに、めまいがあったものの、日常生活には何ら支障なく、
自分が病気であるという自覚はまったくありませんでした。

半信半疑の中、現在の病気の状態と、今後どのように病状が進んでいくのか、
最後に余命3年であることを伝えられました。

私の骨髄異形成症候群(MDS)は、正常な白血球を骨髄で造れなくなるタイプで、
しばらくすると急性骨髄性白血病に移行すること。
移行した場合、深刻な予後不良に陥ること。
しばらくすると、白血球だけでなく、赤血球や血小板も徐々に減少していくので、
延命処置として輸血を定期的に行う必要があること。
ただし、白血球だけは、白血球の型(HLA)が一致しない限り、
私の臓器を異物とみなし攻撃してしまうため輸血ができないこと。
そして、白血球が少なくなるとウィルスや真菌などによって、
肺炎や多臓器不全になり死に至ることになると、
主治医は私の表情に気を遣いながら淡々と
そして、とても分かりやすく説明をして頂きました。

ただ、唯一の救いは、早く発見ができたため、体力がまだあること。
血液の数値がそれほど深刻なレベルではないことから、
直ちに日本骨髄バンクでのドナーを探し(5ヶ月くらいかかる)、
ドナーが見つかり、骨髄移植に成功できれば、
この病気を克服し、普通に寿命を全うすることができる。
という可能性があるということでした。

骨髄移植とは、
壊れた骨髄の造血機能を抗がん剤でがん細胞もろとも壊滅(死滅)させた後、
ドナーの造血機能に完全に置き換えるという方法です。
骨髄異形成症候群(MDS)という病気の治療法は、
骨髄移植以外にまだ見つかっていないのです。

まずは、ドナーが見つかるかどうか、また、
骨髄移植に成功しても再発するリスクが高いため、
移植を受けるかどうかは、慎重に決めて欲しい。
そして手術を受けるのであればどこの病院でもいいので
ご自身で病院を選んで決めてください。
紹介状を書きますよと主治医から話がありました。

余命宣告直後

病院での会計を済ませたあと、調剤薬局で肺炎防止の薬をもらい、
このまま真っ直ぐ帰宅するのも何だかなぁという気持ちになり、
夏の終わりの夕方に、病院からほど近い街路樹のある商店街まで、
ふわふわした、おぼつかない足取りで歩き始めておりました。
薬局を出て交差点を左に曲がったところで、
80才くらいのおじいちゃん2人組とすれ違いました。
あまりに楽しそうに話をしている2人の姿がキラキラ輝いて見えました。
いつもなら、多分何も感じない風景ですが、やたらにキラキラして見えました。
年を重ねることができることは、何と素晴らしいことなのでしょう。

「あぁ。。。こんなおじいちゃんにはもう私はなれないんだ。。。」
「こんなおじいちゃんになりたかったなぁ。。。」

周りは、やや寂れた商店街ですが、
その景色が何だかとっても愛おしく、眩しく見えてきました。

「やっぱり日本っていいなぁ。。。」
「もうすぐ、この世界から私は消えてしまうのか。。。」

道路を渡った向こう側に、老舗のお蕎麦屋さんの暖簾を見つけました。
ちょっと、寄ってみようか。。。
店は時間が時間ですので、お客は私ひとりだけでした。
天せいろをペロリと平らげ、蕎麦湯をいただく間に、何だかだんだん元気になってきたようです。

二度目の蕎麦湯を継ぎ足した後、しばしの間に、
「延命処置」と医師が言っていた「輸血」はしないこと。
一か八かでも「骨髄移植」による完治を目指し、早く健康になること。
驚くほど低い生存率は、過去のデータに過ぎず、私は私。
これまで色々な意味で、私は運が良い方で、
いざという時の勝負事に強いことなどを思い浮かべ、
病気と闘うことを決めました。

はじめての入院

白血球の型を調べる「HLA検査」は口の中の粘膜を綿棒で採取するだけの簡単なものでした。
骨髄バンクによると、
私のHLAの型とパーフェクトマッチしているドナーの方が、
10数名いることがわかりました。
これは超ラッキーなことだと主治医から教えていただきました。

余命宣告から約5ヶ月後にドナーの方が見つかりましたよ。と、
治療をお願いすることになった造血幹細胞移植科の主治医から電話が入り、
同時に、入院日が2019年1月に決まりました。

最後の海外旅行になるかもしれないので、入院の直前ですが、
2018年12月に、何度も行っているハワイを訪れました。
ホノルルマラソンが開催された日の早朝に、
ホテルのベランダから「ダブルレインボー」を見ることができました。

ダブルレインボーには『卒業』、そして『祝福』という意味が込められているのだそうで、
「お疲れ様!」「よくがんばりましたね!」というメッセージと、
「あなたにこれから幸せなことがやってきますよ」という2つの意味
が込められた暗示なのだそうです。

ハワイから帰国し、
入院日の3日前に、最終的にドナーのご両親のご承諾が得られなかったため
移植はキャンセルとなったこと。
ドナーの候補者はまだ複数名おりますので、もうしばらくお待ちください。
と連絡がありました。
一旦、ご承諾を頂いたドナーが、入院直前にキャンセルとなることは
非常に多いのだと主治医から聞かされました。
当然だと思います。

ドナーが決まりました!

次の候補の方は、20代の女性です。
骨髄移植ではなく、末梢血幹細胞移植というドナーの負担がやや軽い
新しい移植方法です。
最近では、末梢血幹細胞移植の成功率が上がり、骨髄移植と何ら遜色ないレベルになっています。

2019年2月中旬に入院日が決まりました。

2019年3月上旬の移植日までの約2週間で、
全身の精密検査が徹底的に行われ、
前処置と呼ばれる抗がん剤投与が入院した当日から始まりました。

前処置では、異常がある私の造血機能を
がん細胞もろとも全て壊滅(死滅)することが目的です。
無菌室に入り、血液中の赤血球、白血球、血小板の数値がすべてゼロに
なるまで抗がん剤を投与していきます。

抗がん剤の治療中は、毎日、残さずにご飯を食べることができ、
吐き気などもまったくなく、思っていた10分の1も辛くはありませんでした。
副作用は、髪の毛が抜けたことと口内炎が2日くらい出た程度で済みました。

末梢血幹細胞移植は、3月上旬に行われました。

壊れている自分の血液と造血機能のすべてを壊滅(死滅)し、
末梢血幹細胞移植日以降はドナーの造血機能に切り替えていくことから、
移植日を第二の誕生日というそうです。

造血幹細胞移植が成功したかどうかを確認する方法として、
一旦ゼロになった白血球中にある「好中球」の数が500を超えたかどうか
で判断をします。
好中球は、ウィルスや細菌と戦う白血球の主成分であり、
私の場合は、移植日から15日目に好中球が530にまで上昇し、
幹細胞(白血球や赤血球などの元になる細胞のこと)が無事に「生着」したと
主治医から話がありました。
その後は順調に、1000、2000、3000、4000と好中球が増え
退院の直前には5000台にまで回復しました。

退院しました

ドナーのおかげで、順調に新しい血液が私の体の中で造られるように
なりました。
移植日にすべてゼロになった白血球と血小板が基準値をクリアし、
赤血球だけがやや足りない状態でしたが、
2019年4月中旬に退院することが決まりました。

ちょうど2ヶ月間の入院でした。
主治医や看護師の皆さん、そしてドナーの方には感謝しきれないほど
ありがたく、命を救って頂いたことを重ねて感謝しています。

また、今回の入院では医学の進化を感じることができたこと。
特に、副作用が出ることを前提に、その苦しさを抑える薬を
タイミング良く処方してくれました。
そのおかげで、思っていた10分の1も副作用の辛さはなく、
ご飯も毎日ほぼ完食でき、音楽や落語を聞いたり、本を読んだりする
時間まで十分にとれたことをありがたく思っています。

病室で自撮り

退院から1年後

今日は、2020年3月15日です。移植日からちょうど1年を経過しています。

この1年間、風邪にもならず、仕事にも復帰し、
病気になる前よりもかなり良い健康状態になっています。

定期健康診断のおかげで、病気の早期発見と治療の開始につながったことを、
我が身を持って体験・実感しました。

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